記憶などのこと、つれづれ。


今、電車遅延でホームに人がごった返しています。

「その話は、また今度。」
と言って、大きな声で笑いながら別れていったほろ酔いの、スーツ姿の男の人たち。
英語も飛び交っています。
殆どの人がスマホを弄っています。
韓国の方々が迷っていたので、私はまだそんな流暢ではありませんが少し、お喋りをして、案内をして笑顔で別れたところです。

ここに居る全ての人が、この世に生まれ、それぞれの事情で日々、暮らしている。

三鷹のお稽古場の窓からは紅白のとても大きなクレーン車が見えていて(重機好きの私はたまらない)、下を見ると保育園のお散歩の光景、パステルカラーのお帽子がちらちら動いている。
杖をつくご婦人、珈琲の香り、煙草の香り、お稽古場に響く挨拶、ぽつぽつ聞こえる台詞練習……。

絶えず、生活、営み。

お稽古の日々で、なんだかそんな事ばかり考えている。
一日を、生き抜いたからこそ、明日が。
その連続の中に、私の誕生があるのだというようなこと。

作品の中で、ふと、心の奥底を突かれて、
いや、そんな生易しいものでないな、
細胞に溶けている生き抜いた過去と現在の中の非常に個人的なそれが目の前に鮮明に広げられて、ぐむむとなることがある。
勝手に結びついてしまう言葉たちや状況に、飲み込まれないようにと思うのだけれども、たまらなくなって外に飛んでいって声を出して泣きたくなることがある。
この感覚はいつ以来だろう。
実際には飛んでいけないので、堪えながら早着替えしたり、舞台上で見つめたり、袖中でお茶を入れたりしています。
もしも誰かに抱きしめられたら、水になってしまうと思う。きっと。

今、お稽古していて、過去の味わい深い血の通った記録の貴重さとともに、記録よりも記憶、記憶からの想像、さらに希望、祈り、というものの力強さを感じています。

記憶の中の、過去のわたしを手のひらに乗せて、希望と祈りと光を見せてあげたい。

私は、あなたが居るから存在している。
だから、私は忘れません。
あなたが、なんとか生き抜いたその日、その日が確かにあったことを。
あなたを支えた人たちの居たことを。

お稽古場では、みんなに助けてもらってばかりです。
みなさんありがとうございます。

初日は、もうすぐそこ。
お客様の顔、頭に浮かべて、前進あるのみ。

玲子

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